比べない人生

生き方
この記事は約4分で読めます。

自分の中では当たり前でしたが葬儀支援活動を始めて17年、最近改めて分かったことがあります。どうも僕は『他人と比較しない性格』の人間らしい事です。

事前相談をしていると親戚や世間と比較したり合わせたりする人もいますが、僕には理解できない事のほうが多いので何で? 自分は他人と違うのだろうと考えてみると、稼業倒産後と倒産前の生活環境の急激な変化がトリガーひきがねになっていると気づきました。

簡単に言うと倒産後は周囲と比較できる状態でなく、両親や姉妹とも別居でしたから周囲に同様の人もおらず、今ある環境を受け入れるしかなかったからで、ヤンチャしてたから仲間はいましたけど、そんな環境だったからヤンチャしてた仲間から抜けるのも早かったです。

幼少期に遊んでた近所の子供達の親が、自分の子供に僕に近寄るなと陰で言ってたのは知ってましたから、ヤンチャを続けてたら父親が悪く言われるのも分かってたし、家庭事情など何も知らない他人に陰口、、それも自分でなく親の陰口は聞きたくないですからね。

比較的大きな商売で裕福でしたから没落すれば、羨んだり嫉妬してた近隣の人達からすれば中傷対象として最適、やっかみ半分の悪口は想像できるから尚更です。

最適な時期

倒産は中学3年でしたから、高校は初めて逢う人達ばかりで以前の僕も知らず、倒産も知らない人達でしたから、改めて説明する必要もなく、倒産で転居したから住まいも生まれて初めての地域です。

転居者だから誰かと比べられる事もなくなり、誰かと比較することの無い人生のスタート、あとは自分の中で余分な執着さえしなければ楽に生きられる事も学んだと思う。

倒産も含め様々な出来事の時期が違ってたら、きっと精神的に楽に生きられる極意を知らないまま70才の齢を迎えてたでしょうから、財産は何ひとつとして相続できませんでしたが、その代わり何をしても自由な人生と気楽に生きられる発想の極意を学べたので結果オーライです。

もっとも倒産せず商売と財産を受け継いだ「もしも」の人生経験はないから、良し悪しも分からないけど『執着』しない良さを学べたのが15~20才だったのも幸いしてます。

なぜ他人と比べるのでしょう?

倒産以降は学生時代も含め他人と比較した記憶はなく、サラリーマン時代も同様の記憶はありません。ついでに上司にムカついた経験は何度もしてますが陰で悪口を言った記憶はありません。

中には納得できないクズ上司もいましたが『その人より偉くなるか最低でも同格になってから文句は言えば良い』と追い越してみると、それほどの人物ではないと分かり苦笑するだけ、待遇を良くしたいなら、まずは会社の業績を上げない限り、社員の待遇が良くなることになどありえません。

なら競争相手が悪いのか?「NO」競争相手と比較して是正すれば良いのか「NO」、結論を言えば末端の利用者や消費者の賛同や欲求を満たさない限り長期繁栄はありません。

ゆえに誰かとの比較にはさほど価値はなく、まずは自分が求める幸福感を明確に理解し、その為に必要なもの(事)があれば吸収や取得をすれば良いだけの事です。

比較しないから今のあんしんサポートは存在する

僕は葬儀屋が嫌いですから嫌々葬祭事業を始めるなど、家業を受け継いだ人以外では珍しいでしょう。でも17年後の今になってみると、葬儀屋の商法が嫌いだったから既存の葬儀屋と違う道を歩けたし、大嫌いな葬儀屋商法とは違う発想をし続けられ、乱立も無関係の完全会員制の発想ができたのです。

年中無休・24時間対応・夜間搬送もあるので「酒」は飲めず・旅行にも行けずで、その点だけを捉えれば楽ではありませんけど、へつらう事なく、嫌な人の依頼は受けず、自分達が納得できる人達だけの支援で食えて、他人から頼られる日々を過ごせてる今は幸せです。

施行する我々自身が「幸福感」を持ってなかったら、会員である利用者の目線を最優先したり、最大限費用を抑えた施行をしてあげようとは思えないですから、人の不幸に携わる支援活動ではあるけど、家族の不幸を良き思い出にできるわけで、支援する家族同士を比較する必要もありません。

会員家族は例え親戚でも生活状態、価値観など全て異なって当然、だから親戚、周囲、世間の基準と比べたり、比較することなく、正確な価値観や事情を確認したり相談する事がとても大事なんです。

コメント