戯言で生きる業界

我想う支援日誌
この記事は約3分で読めます。

葬儀業界に入る以前に過ごした業界目線は「家族目線」と同じでなければ繁盛せず、儲かるどころか企業の存続すらできません。大多数の消費者に認知されたブランドを除いて『より良い物をより安く』の基本姿勢を徹底して追及してるのが大半の企業です。

プラス、オリジナルの差別化で勝負している訳で、ようは『同業他店に行くより、当方はお得ですよ!』と利用者から思われる店や事業にすべく競い合ってるわけです。ところが葬儀業界・宗教界(寺)は他業界とは異なる目線で動いており「死後の世界」という未知の領域を商売にしているからでしょう。

死後の世界の有無、穏やかな死後を過ごして欲しいなど、愛する人達の死後を案ずる家族の心境は理解できますので、その点をとやかく言う気はありませんが、未知の部分を餌にして高額な費用を請求する商売が邪道なのは間違いありませんので声を大にして否定するしかありません。

家族の心が穏やかになる方法のひとつとして、誰が聞いても納得できる費用であるなら苦言を呈する事もなく、こんな記事を書く必要もありませんが『戯言ざれごと』がまかり通る世の中は是正するしかありません。

菩提寺の目線

寺は昭和まであった高値安定供給維持として組合料金設定で平均単価を下げない手法を取ってますが、それが檀家や国民が離れる引き金になってる事にすら気づかない時代錯誤の住職が多いのは、寺の墓所が人質となってるから、それでも無縁墓が増えてる現実を直視すれば分かるはずです。

「人質を取ったようなもの」の発言は設立から数年後、とある住職から直接聞き驚いた衝撃の言葉、この頃から寺(住職)の人間性に疑問を持ち出したのです。

契約書も無いのに菩提寺で葬式しなかった遺骨は寺墓所に入れさせないとか、納骨させる対価として10万円~30万円の布施を要求するのが大半の寺、仏教界には『無理が通れば道理が引っ込む』のことわざは存在しないの? 僕る知る限り檀家の生活を守ろうとする思考と発言は聞いた事がありません。

寺離れは自分達の行いの結果、仏教用語の『因果応報いんがおうほう』に気づかないのでしょうか? 『傲慢不遜ごうまんふそん』『唯我独尊ゆいがどくそん』『傲岸不遜ごうがんふそん』『傍若無人ぼうじゃくぶじん 』これらは全て仏教熟語、仏教熟語の中に『拈華微笑ねんげみしょう』の言葉があり端的に言えば良い意味での以心伝心いしんでんしんと同義語ですが逆の意も伝わるものです。

葬儀屋の目線

ハッキリ言うと反社会的な活動以外で見た事はなく、支援活動開始から17年が経過した今、葬儀屋商法は設立当初より嫌い、それが当然と考える相手は関わりたくない人種、ホームページ・パンフレットの最初に書いてるように『俺は葬儀屋にはなれない』に今では『絶対』の文字を入れられます。

何度も書いてるように表示料金では絶対に不可能な設定を堂々と「プラン」と書ける心理は理解不能、この時点で信頼に足らない葬儀屋であると自ら発言しているようなもの、これだけ情報が簡単に分かる時代にも関わらず、相変わらず葬式後に苦情を言う利用者も利用者ですけど、、、

多分1回葬式したら次は10年後も普通だから無理矢理通用させてる商法なのですが、人を騙すこともいとわないのか、騙してる自覚すらないのか分かりませんが信用できませんから付き合いもしません。

この手の話題は何度も記事にしてるのですが、最難点は『何が分からないかすら分からない利用者です』ハッキリ言うと結果に文句言うなら事前に学べよ、学ばないのは自分の失態だから文句言うなよが本音、次回、家族目線と業者目線の具体的な違いを列記するので学ぶきっかけくらいにはなるはず、、

コメント