今回の内容は1回2回では完結しませんので1回3~4分で読める内容にして連載します。
この10年ほどは『故意に他人を騙さない』『支障のでる嘘をつかない』『家族も含めた他人に迷惑を掛けない』など日本という国で生きる上での秩序と道徳を備えた前提があれば、人生は【自己満足で良い】と判断してから15年が経過した今【正解】だったと言えます。
葬儀支援を始めるまでの人生を振り返ると、サラリーマン時代は会社を筆頭に上司、同僚、部下、取引先などに神経を使い、35才で経営者となってからも社員、取引相手、世間体、見栄など周囲優先の人生が当たり前と思ってましたが父親の逝去をきっかけに生き方を変更しました。
きっと大半の人達も以前の僕と同様に生きておられ、我慢の限界を超えるとうつ病になったり、キレる老人になったりするのはストレスの蓄積も否定できないんじゃないかな。
きっかけは父親の終幕期
父親逝去の一報が裁判所から届いた52才から偶然の重なりで思い立った葬儀支援の道、宗教者を始めとして人の死に関わる仕事をする人達はさぞや人間の出来た人達であろうとの思いは見事に裏切られ、他人の「死」と「悲しみ」を喰いものにするのが葬儀業界でした。
僕自身は立派で誇れるような人間ではありませんけど、他人の悲しみにつけ込んだり、霊感商法を使ったり、詐欺の如く騙す事が当然の業界は人生では初体験であり到底馴染めませんので、業界人とは一定の距離をとり、あえて友人を作ろうとは思いませんでした。
理由は『朱に交われば赤くなる』から、一般的な非常識が業界内の常識ですから触れ続ければ赤くならずともピンクくらいには染まるもの、なら交わらなければ良いわけで幸いにも葬儀業界の人と話しても納得する事は殆どありませんし、葬式に対する根底が違うからか話したいと思いません。
また葬儀業界の経営者は他人から知識なシステムを教えて貰ったり、盗もうとはしますが、自分が教えるのは嫌なのがありありと感じ取れる人が多く、自分の知識やスキルを教える事に抵抗の無い僕からすると、せこくて嫌いな人種だから一度嫌だと思ったら避けるようにしてます。
その代わり、利用者立場の人達とは定期的に交流を持ち続ける事で、18年前と今の自分の変化の有無を確認したり、事前相談や利用した家族と雑談も含め長時間話すことで、利用者の本音を聞き出し何をすべきかの指針としてきた18年です。
葬儀業界の実態は僕の尊敬する祖父母の教えである商人道に反する邪道としか思えず、強い怒りを覚えた事から葬儀屋でなく国内初の葬儀支援への道を模索し続けたのですから葬儀業界は反面教師です。
利用者の本音確認
まずは僕の感じた違和感や怒りは個人的なものか、利用者全体が感じるものかを確認する為、かつて経営指導を行う中で数十人~数百名を対象に1~3時間の講演会してきた経験を活かし、葬式に関心のある受講者の本音確認から始めると『葬式の何が分からないさえ分からない』人達ばかりでした。
また圧倒的に多い仏教葬式は信仰心からでなく、過去の慣習と洗脳や誘導と周囲からの無責任な圧力からで、多くの人達は、布施も含め葬式費用が高過ぎると感じてる実態が分かりました。
あ、余談ですが大人対象の講演会は50代までなら15分程度の集中力がありますが、60代~の場合5分~最長でも10分に1回は笑いを取りながらでないと集中力は続きません。
千明も含め僕の講演会を聞かれた人達からは「綾小路きみまろみたい」と言われるのは、聴講者をいじった講演をするからでしょう。例えば老人に「棺桶に片足を突っ込んだ――、」のような表現をしますが僕は「両足突っ込んだ」と言いますからダークジョークです。
これを笑いに出来れば皆さん集中しますが、笑いに成らなかったら怒りだすでしょうから、話の『間』と『展開』はとっても大事、これが事前相談でも有効活用されてます。
少なくとも数回設定の講演会を数十回以上して質疑応答していれば利用者の本音と生活実態も見えるし、誰もが必ず迎える終幕後の死体処理にどうして高額な費用が掛かるのか? もっと言えば何故無料で国が火葬と遺骨処理をしないのかのほうが不思議でした。
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