夏を感じさせる代表的な風物詩と言えば七夕まつり、昨今規模は規模が小さくなりましたが、子供の頃はもっと派手で人も沢山歩いていました。少年期までは前橋市の隣接市となる伊勢崎市で育ちました。
本町通りと呼ばれる約550mの県道を歩行者天国にして道路中央はボーイスカウト・ガールスカウト・カブスカウトの子供達が長いロープを持って立って分離し片側一方通行、各店からは太い竹に飾った七夕飾りが延び、両側には露店が並び、七夕飾り沢山を見上げながら沢山の人達が歩いていました。
七夕まつりは土日の2日間で当時の土曜日は半日授業だから、ボーイスカウトだった僕は夕方からスカウトの正装で参加、ボーイスカウトは小学6年生からですが3年生から参加、小学6年生の時は1級スカウトだったので警察本部テント内に設置した無線機の移動無線機を担いでました。
たまに迷子に出会うくらいで事件、事故は一度も経験しませんでしたが、ずっと立ち続てる先輩後輩達の健康状態も確認しながら歩く1,100mは誇らしかった記憶があります。
そういえば当時は銃刀法規制も軽く、僕も含めボーイスカウトの多くは刃渡り20cmほどの皮ケース入りナイフを腰に下げて持ち歩いてました。
一定時刻になると交通整理から解放され、焼きそば、綿あめ、など買って食べましたが、木を薄く削った「経木・ひげ」を三角に丸めた器に盛った焼きそばを竹ひご1本で食べてました。
夜空には満天の星
七夕と言えば天の川、今は山の上や余程の田舎でなければ夜空の星を眺められませんが、当時は街中でさえ店が閉まれば街頭も少なく夜空には沢山の星が見える時代でした。
夜空に想いを馳せたり、1年の中で最も美しいとされる十五夜(中秋の名月)を見て家族団らんや酒を酌み交わす――、今の時代にそんな風流な心を持った人がどれだけいるでしょうか?
僕の記憶は5才くらいからですから、昭和30年代始め、今ほど便利でも豊かでも無く、テレビが大多数の家庭に普及したのは昭和39年東京オリンピック、それ以前は裕福な家庭以外はラジオか街頭テレビを見る時代、電話、車も無い家族ほうが多い時代です。
商家でテレビがあり金曜日午後8時になると近所の男性が我が家に集まり、映画館の如く部屋の電気を消して真剣にプロレス中継を見てた記憶があり、プロレス番組は試合前にマットの上を三菱の掃除機で綺麗にする場面から放送してましたからCMを兼ねてたのでしょう。
昭和の三種の神器と言われた「白黒テレビ」「電気洗濯機」「電気冷蔵庫」が普及し始めた頃、今から思えば貧しい時代、でも人としての心は温かく自然を謳歌する心があった時代。
夕焼け空を赤トンボが群れで飛び、何処の家も煙突から夕飯を作る煙が登り、子供達は声を上げながら走って各々の自宅に戻り、家の前ではウチワで扇ぎながら涼をとる老人の姿、各家の前を通ると煮物の臭いがして、遠くから豆腐屋のラッパ音が聞こえる時代でした。
七夕まつり、十五夜は、そんな良き時代を思い出させてくれる行事のひとつ、今の自分のまま65年前に戻ったら、どう感じるのでしょうか? 束の間でも良いから戻ってみたいですね。
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