引き際の悟り

生き方
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あんしんサポート・ホームページのパンフレットにも「執着があなた自身を苦しめてしませんか?」と記載してあり、過去のパンフレットには「人は「執着」を捨てれば人は楽に生きられる」と書いてきましたが、改めて『執着』がもたらす結果を教えられる出来事がありました。

事業・商売をする中で一番大切なのは「お金」でなく「信用」と「思いやり」わずか5才の幼児だった僕は、後継者としての経営者哲学の真髄として祖父母から教えられてきました。

その教えの真髄を祖父母に確認した事はありませんでしたが、信用と思いやりは特定の人でなく、「末端の顧客」を筆頭として「社員」「業者さん」「家族」など自分と関わる全ての人達に対するもの、信用の欠落は事業失敗への特急切符であると35年の経営者人生を送ってきました。

欲を捨てられない老人

墓閉じ相談から見積り依頼(¥10,000)をされましたが、聞く限り結構な傾斜地の墓らしく、近くの斎場で火葬があった日の帰りに墓所確認をすると、自動車で登るのが大変な傾斜ではありましたが、建立してあるのですから当然撤去もできるはず――、と石屋さんに見積り依頼しました。

数日後、見積り結果を伝えたいと石屋さんが来館しましたが「できません」との事でした。できないのは仕方ないとしても依頼者に説明は必要ですから理由を確認、しかし依頼者が納得できる内容ではありません。

傾斜が強くトラックが登らない、みたいな発言でしたから「なら墓はどうやって建立したの? 施行した石屋は特殊な機材や車両を持ってるって事? と聞くと「きっとそうでしょうね」と言いましたがあり得ません。

特殊な土地だから費用が掛かるとか、特殊な機材レンタル費が必要とか、人手が掛かる。というなら話は分かるし依頼者に説明もできますが出来ないと伝え、別の石屋に依頼したら「できます」では信用問題になりますから、納得できるよう説明を求めましたがらちがあきません。

結局のところ80代の石屋さんは、傾斜での手伝いはきつく、やりたくないという事でしたので、墓所によってできる出来ないでは筋が通らないから「そろそろ引かれたら如何ですか?」と伝え、現在依頼してある仕事を最後にして、次回から別の石屋さんに依頼する旨を伝えました。

¥10,000預かり石屋さんに渡すと現場に行き「更地戻し費用」と「納骨数」を確認して連絡、墓から出した遺骨の散骨費用も合わせて依頼者に「撤去費用」+「散骨費用」+「閉眼読経費用」=「総額」などを確認、決行すれば¥10,000は差し引き、中止の時は¥10,000が石屋さん手数料となります。

楽な仕事は老人の石屋さん、大変な仕事だけ別の石屋さん依頼なんて事はできませんし、その判断も我々にはできませんから、その仕事がしっかり出来なくなったら身を引くべきと教えられました。

葬儀支援も同様です

無休・24時間対応、真夜中の依頼、施行、片付け、パンフレット、ネット、経理、法務局など全て自分で行うから超低料金・高品質で続けられるわけで、依頼の授否は利用者でも納得できる基準が必要、菩提寺の葬式は当支援センター理念に反する高額な布施、だから受けないと明言してるのです。

今回の石屋さんの一件で引き際について考えさせられます。

何才までとかでなく、葬儀支援センター維持に必要な全ての業務の中で、何が出来なくなったら身を引くべきか、その前段としてどんな対応策が必要かも考えておくべきのようです。

やはり何事に於いても「執着」はプラス要素にはならない。似たような話題で「ボケたら交代するから言ってくれ」と言われる老人もいますが、ボケた人は自分がボケてる事すら分かりません。酔っ払いは「酔ってない」と言い、酔ってない人は「酔っぱらった」と言うのと似てます。

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