幸せ術「自分の本音に素直になる №2」

生き方
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なぜ葬式代を「高い」と感じたのだろう

僕自身喪主も施主も経験が無いのに、葬式経験者から聞かされた葬式費用を高いと感じたのは何故? 何を根拠に高いと思ったのだろうか!? と不思議に思い自分に問うてみた。

まず話を聞いた全住職から「布施はお気持ちですから」の言葉を聞いてた事で2~3万円、高くても5万円程度であろうと勝手に思い込んでた事、葬儀屋は口を揃えて「うちは喜ばれています」の言葉から、これまた勝手に『安い・良心的』と思い込んでた事も分かりました。

ただ想定した布施との差額は10倍の30万円~50万円、常識的に考えて月に10数万円で生活する年金生活者が50万円を布施ほどこしとして払う? ってゆーか払えるだろうか? と同時に誰彼構わず布施額の料金表を見せて「当方では全てこれでお願いしてます」と言えちゃう人間でも宗教者なのか!?

少額を包むと「供養の心が足らない」と叱咤された人もいて、生活に支障が出る額を出せと言ってるのと一緒ですから、それの何処が供養なのか!? 馬鹿を言うんじゃないと心底思った。

ただ明言しておくと無信仰者だけど宗教が悪いと思っていません。本来宗教とは生きる為の指針を解くもの、迷いのある人達にとっては光明と成り得るはず、葬式は人生の終幕があるから行うけど、葬式=宗教ではないので宗教が悪いわけではありません。

問題は宗教を個人の利益に結びつけて誘導したり脅す輩が葬儀屋にも宗教者にもいて、家族は辛い人生を生きることになり、暴利を得た業者や宗教者は贅沢をする――、どう考えてもおかしいでしょ? でもそれが今の日本の葬式実態なんです。

特別善人でなく弱者支援など考えた事すら無い人間ですが「人の死」を利用して暴利を得る人達こそ、本来の信仰に反する行為であり、信用と思いやりを解いてくれた祖父母の教えにも反する典型としか思えず反論出来ない人達に代わって真っ向から苦言を呈し続けてるのです。

もうけ」とは「信・者しんじゃ」と書くが如く

儲けという漢字の由来は「人・諸」人が貯めるという事だろうと思われますが、見ようにより「信・者」と分解する事もできます。自分の商売を多くの人達が信望すれば、自ずと利用者が増え結果として儲かるとの教えのような文字ですが寺も葬儀屋も掛け離れてます。

既存の高額な葬式を良しとする人は構いませんが、僕のような無信仰者は当然宗教儀式無用、入院入所で金がない時の葬式も同様、されど2008年当時低料金の葬式は存在しませんでした。

そもそも誰でも死ぬのに何故なにゆえ高額な費用を掛けさせる理由と目的は!? と問うたとて無信仰者の僕が納得のする説明ができる葬儀屋と僧侶は1人もいません。

簡単に言うと「あんた死んだ事あるのか?」誰かに洗脳された事を伝えてるに過ぎないだろ!? 読経すれば生き返るのか? あの世に行った事あるのか?ってことです。

残る家族の生活を心配しながら逝った会員も沢山いますから、故人の思いを実現させようと出来るだけ葬式に費用を掛けさせず、寂しくさせず、温かく送るにはどうしたら良いか、それが故人との約束を守る唯一方法であるとの思いが走り続ける原動力のひとつでした。

我慢の限界を超えた葬儀業界

年始参りで数百円の賽銭を入れ1,000円前後のお守りを買い、厄年は1万円でお払いして貰うなら無信仰者の僕でも気休めとして理解しますが、葬式だからと30万円・50万円を要求したり葬儀屋が創り出した単なるイベント葬式に100万円以上を掛けさせるのは納得できません。

この辺りを問えば大半の人達は納得も絶賛もしてくれますが、納得できる布施で快く受けてくれる寺もなければ、自信を持って紹介できる葬儀屋もありませんでしたから、葬式への苦言を吐くなら自分で創り出すしかなかった事が全ての始まりです。

最初の目標は国保からの葬祭費5万円で骨壺に納まれるプラン完成までの3年間は、当時主流だった一般葬100名~150名の葬式費用が平均250万円くらいを、100万円を切る料金設定で実践し続け3年後に5万円火葬プラン完成となりました。

適切な表現か微妙ですが『瓢箪から駒』『災い転じて福となす』というか、もし布施や葬式代が『まぁ仕方ないか』と思える金額だったら、あんしんサポート葬儀支援センターは設立されず、高額な葬式に公然と異を唱える人も無いまま2025年を迎えてたかもしれません。

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