⑩ 信仰者なら何も言う気はない

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》無信仰者にとっては全て戯言

宗教と言えば最大信者数のキリスト教に始まり、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教が有名ですが聞いた事の無い宗教まで含めると無数にある。

正直なところ胡散臭い宗教も沢山あるが無信仰者の僕には「まともな宗教」と「胡散臭い宗教」の基準らしきものがある。

『やたら金の掛る宗教は胡散臭い』

どんなに立派な事を言おうが、偉そうに言おうがまともに話しをする気にもなれない自称宗教者は沢山いるのが現実です。

個々の宗教者の人間性はピンキリでも宗教本来の考え方は素晴らしいから信者は崇拝するのでしょうし、それを否定する気は毛頭ありません。

日本は信仰の自由が保障された国家であり同時に無信仰で生きるのも当然自由で日本人の80%は無信仰者だと言われています。

特定の信仰を持つ人は他の宗教は邪教と言うだろうが、無信仰者にとっては全ての宗教を邪教だとは言いませんが全ての教えを信じることはありません。

キリスト教徒に仏教をいくら説いても理解はしませんし逆も同様なのは明白、無信仰者に我が信仰を力説すればするほど離れるだけでしょう。

特定の信仰を持つ人が他宗教の人と話したら――、と考えれば理解できるはずです。

これは『無信仰者にとっても同じです』

無信仰者=真っ新まっさらな人ではなく言い方を変えれば『無信仰という宗教』と思っても良く本物の無信仰者は自分なりに生きる指針を持っています。

宗教者を筆頭に布教活動している人達も沢山おられるでしょうが、仏教の教え、キリスト教の教えをストレートに説いても理解はしません。

自身の信仰が素晴らしいと理解させたいなら『自身の人間性と生き様を見せる事です

多くの人があなたの人間性が素晴らしいと思い、生き様に納得すれば勝手に興味を示してくれます。

どんな素晴らしい話をしたり説いても、本人の実生活が違えば自身の人間性と信仰する宗教の価値さえも下げてるだけです。

法典、聖書をどんなに語っても拒否する心がある以上理解しません。信者には素晴らしい話でも他信仰者、無信仰者には戯言でしかありません。

この辺りに『布教活動のヒント』があると思うのですが・・・

生き方に迷いのある人は沢山います。その人達が信仰により前を向いて生きるようになり、心穏やかに生き甲斐を持って生きられる信仰なら大賛成です。

但し、多額の寄付をすれば――、では戯言です。少額の寄付は必要ですが多額な費用が掛る事があってはなりませんし本物の宗教なら多額の費用は掛からないはずです。

宗教者だと言いながら自身の信仰をおとしめるような言動をしている人が多過ぎます。そんな人間の言動を戒めることなく、それを良しとするなら邪教と言われても当然でしょう。