本当に辛い事は記憶から消えるらしい

生き方
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70代後半になった従兄が管理してる墓閉じの相談で、何度か食事しながら長時間話しをしてますが、普段は中々逢えない事もあって幼少時代からの話しで話題が尽きません。

墓誌には12名彫ってあり、墓の中を確認すると12名の骨壺があり、そのうちの1人が彼の嫁さんだった事から、嫁さんとの話題になりました。

死後54年経った今でも嫁さんの事を話す彼の目からは涙が溢れるほどですから、何度結婚を勧めても独身を通したのが分かる気もするし、この状態で結婚したら、どうしても前妻と比べる事になり、再婚した奥さんが可哀そうだから独身を通して正解だったような気がします。

嫁さんの葬式・火葬の記憶がない

彼が23才、嫁さんが20才、新婚1年半のある日、体調が悪く夫婦寮で休んでいた時、側を通った救急車のピーポーッ、ピーポーッの音がやたら大きく聞こえ胸騒ぎがして寮を出ると、その救急車に即死状態の嫁さんが乗って通ったと分かったそうです。

ところが嫁さんの葬式、火葬の様子など聞くと「俺さぁ葬式も火葬も全く記憶が無いんだよ」と言った瞬間、「あッ、俺も同じ経験してる」と僕の口から発してました。

倒産後の記憶が数か月欠如

スーパーだった我が家、午前0時を回った瞬間に倒産が確定すると、小雨が降る中、周囲に駐車してた車の中から人が飛び出し、店のシャッターはガラガラと開けられ我先に商品物品が運び出される場面はドラマを見ているようで『これが倒産かぁ』と思ったのは覚えています。

ところが翌日以降はいくつかの場面の記憶はあるものの、その数か月後の卒業式も含め、引っ越しした記憶さえなく、それまでの写真、卒業アルバムなど何ひとつ無いまま高校生まで記憶が飛んでいます。

そう言えば10年以上前ですが、日光の自殺名所と言われる橋から飛び降りた方の遺体を引き取りに今市警察署に行った時、担当刑事との話の中で飛び降りたら地面に激突する瞬間の恐怖はとてつもないでしょうね? と聞いたら「いいえ、防衛本能で意識は無くなるそうですよ」と言ってました。

また100m以上の高さから飛び降りて岩場もあるので顔も砕けてると言われたので、当時手伝っていた息子と千明のトラウマになったら困ると思い「俺が行くから呼んだら来て」と伝えて部屋に入ったので、僕自身は死体の全てを見ているはずですが記憶にありません。

覚えているのは身体の横に半透明のビニール袋があり中には頭皮と髪の毛?らしきものと、うじ虫?と思われる白い物が動いてた記憶はあります。

忘却とは忘れ去ることなり

「本当に辛い事は忘れようとしても忘れられない」とする記事もあるようですが、僕達の場合は真逆で本当に辛い事は自律神経のように自分の意識とは関係なく、防衛本能が働き記憶を消す事を指す意味もあるのでは?であるなら従兄のケースも、僕のケースも辻褄つじつまが合います。

特に従兄のケースは『忘れる(記憶を消す)』という自己防衛が功を奏した典型、もし明確に覚えていたら彼が現存していたかな? とも思えますし、更に時間という万能薬のお陰で少しづつ記憶も悲しみも薄れるものであると覚えておかれて損はないでしょう。

今辛い時間の真っ只中におられる方の中には、人生の幕を引きたい思いが湧く人もいるかもしれませんけど、従兄は生きてて良かったと言ってましたので、幕引きはいつでも出来ますから、1年だけで良いので人生を楽しんでからにしてみませんか?

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