おまけの章「最終」

家族の死後に後悔しない為の一冊
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『五十にして天命を知る』晩年、孔子が人生を振り返った際の言葉、五十才にして天から与えられた自分の使命を悟ったという事か、50代になったら自分の人生を悟れという解釈だろう。天命なる言葉の捉え方で意味は変わってくるけど、天命を天職とするなら『生き甲斐を持てる仕事』だと思うがネットで面白い図を見つけました。左図を見る限り英語圏の人が作ったのは間違いありませんが英語でも「ikigai(生きがい)」という表現らしく日本語にすると右図になります。

52才9月父親逝去の一報を受けた3か月後53才で葬儀屋をやれってこと!? としか思えない強力な流れに巻き込まれながらも『葬儀屋だけはしたくない』『葬儀屋と思われたくない』『俺が葬儀屋などあり得ない』しかし『8年間してた葬儀屋の営業が俺の言葉で出来なくなった千明ちぎらが過去を活かせるのは葬式関連の仕事』この時点では葬儀支援の言葉すら無く支援など考えもしなかった。

すぐに撤退する予定でしたが当初は関わるしかなく、NPOなら助成金も貰えるらしいと葬儀屋を紹介するNPO法人の申請(年の為、葬祭業も定款に書き入れる)準備に入り、社員10名を集めたり、縦覧期間2週間を含めると法人設立まで2~3か月は掛かると2008年4月NPO法人申請後は自信を持って紹介できる葬儀屋と寺の開拓で歩き回りながら、葬式経験者、葬式を考える年代の人達の話しを聞いて周る日々を過ごし2008年6月27日NPO法人あんしんサポート設立はしましたが、残念ながら紹介できる葬儀屋も寺も探すこと叶いませんでした。

設立少し前、初めての葬式依頼で見た葬儀屋の現実もあり、自分でするしかないかもしれない――、と今まで聞いた人達の言葉を振り返ると為すべき事は明確でしたが、そこに気付いてる葬儀屋は無く利用者と葬儀屋は立ってる土俵が全く違うことだけは分りました。

》当初話しを聞かせて貰った人達の希望や要望
・いくらあれば死ねるか心配してる老人はとにかく多い
・2階以上に住む公営住宅の人は自宅に連れて帰れない
・葬儀屋は安置するだけで1日3万円掛かるらしい
・火葬だけで10万円以上掛かり、葬式は150万円掛かる
・付き合いも少なく小さな式場を望む人達が意外に多い
・墓守が無く墓をどうしたら良いか悩んでる人が多い

葬儀屋経験もなく、葬式もまともに知らない人間が、なぜ成すべき事を悩む事なく思いつき続けたのかずっと不思議でしたが、葬儀屋紹介しようと経験者や不安のある人達100名以上から聞いた話しの中で聞かされた現状への対応が『成すべき事』で、僕に特別な能力があった訳では無かったのです。

》希望・要望を実現させる為の手段
・葬祭費5万円で火葬できれば一銭も無くても死ねる
・総額30万円代の家族葬、50万円代の一般葬を設定
・低料金の安置施設は早急に必要
・最大30名程度の式場があれば便利
・低料金で着工前に料金明示で追加不要な方法を探る
・専用散骨場の取得が必要となる

不思議は不思議なのですが葬儀屋をやれと言わんばかりの強烈な流れ、でも葬儀屋だけは絶対に嫌だ、したくない強い思い『葬儀支援』という実在しない発想を生み、助成金目を当てにしても設立当初から助成金は出ないと諦めさせられたから自立心が生れ、葬儀支援に先人が無いから『素人である家族に近い目線で支援内容と料金の発想ができる』

葬儀屋を始めたいと思った訳でなく、自分はNPO法人に関わり続ける気もなく、単純に千明ちぎらが生活できる収入が見込めれば良いだけで、根本的に欲が無いから考え出す事、作るパンフレットなど見た周囲の人達、業者さん達、宗教者達、さらに会員優先性とした事で利用者も、金儲けしてる人間とは思えない対応を取り続けた事が全て好転したのでは・・・って感じです。

お金儲けしたい人は若くして資産を築いた人達に教えを乞うべきと思いますが、生き甲斐を持って堂々と胸を張って生きたい人は、あんしんサポートの流れはとても参考になると思う。絶対嫌だ、嫌いだと思ってるすぐ横に『天職!?』なんて事さえあるらしい。

でも僕は自分で望んだ訳でなく、当初は間違いなく嫌々なんだけど『5万円火葬支援パック完成が第一目標』だったから完成までの3年間は猪突猛進状態で辞める事すら頭に無かった。気付けば新聞、テレビ、都内での講演会と続けざまに進んで知名度が上がると利用者も増え続け暇な時間が無くなってる。

『結論』

僕が特別とは思えない。きっと誰にでも天命を知る機会(チャンス)は訪れるのだろう。10代の人もいれば、70代の人だっているだろうが52才でした。またチャンスは必ずしも良い状態で現れる訳では無く何気ない事がチャンスとなってるらしい――、

ちなみに僕の流れで考えると『父親逝去の一報では八王子裁判所に行けなかったが、妹から聞かされた最後を看取ってくれた女性にお礼も含め逢いに鎌倉まで行った』事がチャンスの引き金だろう。見た事も逢った事もなく、家族や嫁を放って一人で蒸発した父親と同棲してた女性――、怒りや嫌悪感を持っても不思議ではなく妹は決して良い印象を持って無かったようですが、ホームレスとなり食うや食わずの生活でなく、彼らなりに幸せを感じられる人生を歩ませてくれた人としての感謝が強かったのを覚えてます。

何気なく通り過ぎてしまうような小さな事も面倒がらず、自分なりに最善を尽くした対応や言動が今までと違う人生の扉を開ける『鍵(チャンス)なのかもしれません。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

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