普通に食えれば良いの発言理由

生き方
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入会相談、支援施行そしてサポートしてくれる全ての人達から必ず一度は聞かれる「何でそこまでするのですか?(補填してまで赤字プランを続ける)」との言葉に対し『儲け普通に食えれば良いんじゃねぇ!?』が60才以降から発し続けてる言葉、葬儀支援と胃癌早期発見から教えられ学んだことです。

いちいち詳細説明はしませんので「人助け」や[良い人」っぽいイメージを持たれるようで、自分でも悪い人間だとは思ってはいませんが、自分を犠牲にして他人を助けられるほどの善人でなく、まずは自分の為ありきで発想の転換からの精神的な余裕発生したからの人助けが本当のところです。

普通に食えるの深掘り

第1は、心身の健康がある事
つい先日も大学生と高校生の子供がいる40代男性が胃癌で終幕を迎えたのですが、余命1か月の時点で奥さんと2人で入会に来られました。仕事柄もあり入会時は元気ハツラツな姿しか知らない方と次に逢う時は無言の姿――、何てことも珍しくないので普通に動ける心身の健康は「幸福しあわせ」だと思い知らされる。

第2は、普通に食える収入がある
今は糖尿病の予防もあり昼前と午後7時前後の1日2食ですが、毎月家族への生活費が渡せるだけの収入があれば良いし、僕自身は時間が無いので余り金は使いませんので高収入である必要はありません。

第3は、他人に必要とされる仕事
老人域になった分かった事のひとつ、ハリを持って生きるには誰かに必要とされる実感は大きな要素、自分を頼ってる人がいるから元気でいられるよう摂生も続けられるようです。

幸福感の原点

「普通に食える」とは健康・経済状態・生き甲斐など幸福感を得る為のスタートラインであり原点、人が生きる為の絶対条件である「太陽」「水」「空気」と同様の価値でしょう。

結果論ですが齢70を迎えた今も365日24時間対応の支援事業の現場で動き、家族に必要なアドバイスが行える僕は、非常に幸せな部類の人間でしょう。

且つ納得のいかない葬式は受けずストレスの溜まる人の入会も受けませんから、基本仕事の中でストレスを溜めず8年になりましたが今も事業継続してます。

大半の人達は仕事=我慢・忍耐は当然、その代償として生活できる収入を得るような発言をされますが、そんな我慢を続けてたら癌家系ですから健康を損なうどころか命を削ることになる。

心身の健康を慨するような事はせず、普通に食える健康と収入があれば最高と言えずとも「幸福しあわせ」だと実感できる日々を10年近く生き、自分が幸せだと思うから家族や職場でも優しくなれる訳で、全ての人の価値観が同じだと思ってはいませんが、これも「幸福しあわせ」のひとつの在り方です。

人生終盤に気づけたのも幸福しあわせ

葬儀業界での仕事、、初めは本気で嫌々でしたが、設立から数年後には大嫌いな仕事のすぐ横に天職があるのに気づいて驚き、天職って夜中の搬送、徹夜、極寒の出動など辛い事が日々あっても不思議と「嫌」にならず、現存してない切り拓くべき道ですから自然に見えるらしい。

きっかけは52才で裁判所より届いた父親75才逝去の一報でしたが、もし父親の逝去があと10年早くても、遅くても葬儀支援の道を切り拓く事は無く、52才だったから葬儀屋でなく葬儀支援の道が見えたんだと思う。当支援センターの全プラン内容をじっくり確認すれば、既存の葬儀屋には無い内容ばかりと分かるでしょう。

ぱっく60直葬+散骨(永代供養墓納骨)」「追加一切ない完全委託(直葬+散骨)」は当支援センターが日本で初めて設定したプランだし、「家族葬(読経・居士大姉戒名付)17万円(税込)」は日本で一番低料金の家族葬プランと公言しても否定されない設定内容です。

葬儀業界で生きた経験すらなく葬式の事は全く知らない人間なのに、初めての企画が創り出せる――、逆に言えば葬儀業界を知らなかった事、今は17年前より嫌いな葬儀屋商法もあって、建前の付き合いは嫌いだから業界内の人達との付き合いをしなかったから家族目線が維持していられる? のかもしれません。

僕の言う『普通に食える』とは上記の全てを含めたもの、穏やかな心で、無理をせず、普通に食える生活が送れたら、とても幸せなことだと感じてます。

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