「17」たった一人のお葬式

一銭も要らないお葬式
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厳冬の言葉がピッタリの2月、午前8時ジャストに逝去の一報が入りシャワーを浴び、ドライアイスの準備をして病院に向かいますが、指定されたのは霊安室でも病室でもなく病院の待合所、到着すると玄関近くに停車して待合所に向かうと細身の女性が座ってました。

女性「あんしんサポートさんですか?」
武井「はい、そうです」
千明「〇〇さんですか? 電話で伺った火葬だけの葬式で宜しいですか?」
女性「はい、お願いします」
武井「ところで故人はどちらですか?」
女性「はい、すぐに連絡します」と言われ館内電話で連絡、寝台車を移動して霊安室に向かいます

自宅に到着すると布団安置、ドライアイスを当て末期の水を取るのはいつも通り、だけど、それを行うのは初老女性1人、火葬予約時間を伝え死亡診断書に必要事項を記入してもらおうと確認すると、死亡時刻が午前3時35分の文字を見て聞いてみます。

武井「あれ、電話くれたのは午前8時でしたよね、何でこんなに時間差があるの?」
女性「夜中では悪いと思ったのと病院も待ってくれると言ってくれたので、、、」
武井「あー、そういう事でしたか、ごめんね、寒かったでしょう」
女性「でも受けて頂けたから大丈夫です」と笑顔を見せてくれました。

故人はご主人の母親で長年施設で過ごし、ご主人も認知症で入院しており1人で働いて面倒を看ているそうで、もしもの時の費用はどうしようと悩んでいた時、新聞記事を見て「助かった、これで何とかなるかも電話しなければと記事は取ってあるんです」と財布から出して見せてくれました。

翌日の火葬中は我々と3人で話しながら過ごし、拾骨も3人で行いましたが「墓はあるのですか?」と尋ねると無いと言われたので、2か月後に1万円合同散骨があると伝え彼女も参加されました。

たった1人で火葬だけの葬式は僕の父親の葬式と重なりますから、この女性の最後は独居老人の終幕、葬儀支援と謳うなら、年金生活の独居老人でも死後費用の心配や不安をすることなく生きられるシステムを創り出す必要がある現実を見せられた葬式でした。

独居老人でも安心システムが必要

この一件から独居老人の人達に逢って心配事や不安を聞くと、突然の怪我、病気、そして死後の処理は多くの独居老人の心配の種、大半の老人は周囲に迷惑を掛けたくないと考えてる。すでに『直葬+散骨=¥100,000+税』のプランは設定してありますが、問題は追加が発生した場合です。

① 火葬予約が取れず追加が発生した場合、誰に請求すれば良い!?
② 仮に前受け金20万円を預かったとして残金は誰に返金すれば良い?
③ 返金額を住居整理費用に充てられるかもしれない、、

といった問題が出るのは目に見えており、搬送地域、火葬地域は事前に分かるので問題ないけど、火葬予約については試算も計算も予想すらできません。今は自宅安置一択だけど将来を見据えれば、我々が所有する施設安置が絶対条件です(斎場冷蔵庫は開業時間内以外は預かりません)

「24時間単位の安置施設利用料」と「必要量のドライアイス追加料」で葬儀屋さんは1日2万円~5万円と言われてますから5日追加なら10万円~50万円の追加、例え1日1万円でも5万円の追加です。

・安置日数が増えても追加されない料金設定
・ドライアイスを追加しても加算されない料金設定

そんな事が可能だろうか? 普通に考えれば絶対に無理、可能にする唯一の方法は全て当支援センターが背負うか、初めから追加を想定した料金設定の二択しかないけど後者は論外、、今回の葬式で独居老人対策が必要と分かっただけでも進歩、最善策を立てる必要があります。

本当に偶然なのだろうか

52才の9月、裁判所から突然届いた父親逝去の一報、指定日に行けず後日、お礼も含め伺い鎌倉で聞かされた父親達の終幕期の話から『葬式とはなんぞや』の疑問、欲しい情報が得られず葬儀屋勤務の人に聞けば良いと各店長に相談して最初に連れて来られた千明ちぎらとの出逢い。

普通、美容業の社長に「葬儀屋しませんか?」と言うでしょうか? 設立が翌年ならNPO協議会事務長は別の人、初めての葬式が最悪な葬儀屋への依頼、中古霊柩車の取得、姉への後悔が活かせた家族、散骨場を無償で使ってくださいの提案、低費用の遺骨処理が必要と教えてくれたお婆ちゃん。

老人夫婦と独居老人の問題を見せてくれた女性、講演会を依頼、開催してくれた人達と聴講者の反応、そして現行葬儀屋毎の施行実態を見たり、死体知識、法律はさほど詳しくない事、葬儀屋の発想と家族の思いには大きな隔たりがある現実も教えられました。

全ては『父親の最後を看取ってくれた女性に逢って、お礼方々話を聞かせて貰えたら――、』この発想から人生が大きく変化した訳ですが、その「時期」「出逢い」「流れの順序」もし父親の終幕が前後に10年違ってたら、最初に連れて来られたのが千明で無かったら――、

もっと言えば最初の葬式が家族目線で納得できる葬儀屋だったら、千明の従兄の父親の葬式を依頼されて無かったら早い段階で散骨場を所有することもありません。

設立から数年間の僕はやりたくなかったけど、僕の意思を無視するような強烈な流れの連続、これらの全てが重なり合って生まれたのが国内初の葬儀支援センターであり、それが自分の資質や天性に合致した天職とも呼べるものだった事にも驚きです。

天職なんだろうな、、と思うのは、正月も含め殆ど無休、24時間対応、薄給で辛い時、大変な時はあっても嫌だと思った事はなく、約20年間で胃癌摘出入院8日間、インフルエンザの高熱で1日以外は例え熱があったとしても動ける心身の健康を続けて来られたのも奇跡です。

そう考えると52才~の19年間はとっても不思議で充実してますから、冷静に考えれば全て偶然なのは間違いありませんが、、、本当に偶然だろうか!? と思う自分がいるのも確かです。

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