「20」我が天職を貫く

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52才まで葬儀屋とは無縁の人生、サラリーマン、役員サラリーマン、さらに代表取締役生活も20年と一通りの人生を歩んだ。

役員、社長時代はそれなりの収入もあり人から羨ましがられ恵まれた中年期だったが自分の中では何処か不完全燃焼を感じ続けてました。

ところが37年前の家業の倒産で蒸発した父親逝去の一報からの流れは考える余裕もないほど強い流れで気付いた時は「葬儀支援」の入り口に立っていた。

自分の勝手な思い込みだが、きっかけが父親逝去の一報だから『これがお前の天職だよ』と言われてる気がして最初から全力疾走でした。

現存しない葬儀支援を創り出すにも前例は無く教師もいませんから、現状葬式の問題点、課題点を現場の反面教師から学ばせて貰った。

ただそれをどうするかは全て模索するしか無かったけど、葬儀支援を進める上で必要な人達との出会いは与えて貰えた気がする。

この感覚は14年経った今だからでなく14年前から感じてきた事で当時から不思議だったし、あり得ない流れだったとも思っている。

忌み嫌ってきた職業のすぐ横に天職がある、あのまま生きてたら絶対に僕の能力では気づけないだろう。

中には葬儀屋大好き人間もいるだろうが世の中の大半は逆で葬儀屋だけはしたくない人が大多数だろう。

また元旦も含め10年以上も休みがとれず、かつて100回以上行った海外旅行にも行けず24時間対応の仕事は酒も飲めず寝不足や徹夜も当たりの仕事。

誰が好き好んでこんな仕事をするだろうか、その代償として葬儀屋は儲けられるのかもしれませんが葬儀支援はその代償である儲けさえありません。

体調が悪かったり熱がある時だって何度もあった訳で普通の人が好き好んですることじゃないだろう。

お馬鹿さんに見えるかもしれないし、本当にお馬鹿なのかもしれないが嫌に成らず、生き甲斐すら感じるのだから我ながら不思議に思う。

人生の中で一番堂々と胸を張って生きてると感じるのだから、これを天職と思わずにいられない。

自分で気づけない天職に導いてくれた親父に感謝。

それでも寄る年波には勝てないと言うし僕も例外ではありません。どんなに若く見えようと66才だし血糖値と肝機能数値は高めです。

きっとこれからも故障は出るだろうし2年前に胃癌除去してるから何処かに癌が発症する事だってあり得るだろうがたまに来る同級生達を見た千明は言う。

「本当に同級生ですか?年上の老人に見えますけど」

我々を頼る会員さんが沢山いるから老け込んではいられません。そのお蔭で若くいられるのでしょうから恩恵も受けてるようです。

2030年代団塊世代が80代に突入して大変な時代になる前に『家族の生活を脅かす葬式』から『残る家族の生活が守れる葬式』への転換が必要だ。

14年前2007年から言い続けてる言葉に変りはない。

残る家族の生活が守れる葬式と死後の諸問題の解決案を創り出し施行し世に広めることで、葬儀支援に於いて葬式は目的でなく目的達成の手段です。

葬儀支援は葬儀屋とは似て非なる存在です。

齢を重ねても現場で踏ん張れる対策もしてきました。
① 事前相談してる会員以外は受けない
② 菩提寺の葬式は受けない
③ 一般葬は受けない
④ 簡単に言うと嫌な人の入会は受けない
⑤ 逝去後の入会できません

年間施行200件を2人で続けられないが人を増やせば料金をあげるしかなく、それでは本末転倒と肉体的にも精神的にも無理の無い活動にしてきた。

他人が創ったもの、始めたのもを評価するなら誰でも出来るが無から創り出すのは難しいとは思わないが決して簡単ではない。

何が必要か何をすべきか教えてくれるのは業界人でもなく、本でもなく、偉い人でもなく、助けてくださいと来館してくれた人達です。

事前相談で膝を突き合わせ建前抜きで話した先にヒントが見える時があったり入会手続きをした人が「これで安心できました」と言う直前にヒントがある。

「誰もが死後費用の心配をせず生きられる世の中にしたい」

14年前の立ち上がりや設立当初より遥かに思いは強くなっているのが自分でも分るし日々相談に来られる人達も減らず、入会者も減らない現実が続く限り葬儀支援は必要だと思ってる。

2021年67才を迎える老人が何処まで踏ん張れるか、何処まで信念を貫けるか、我ながら楽しみです。

あんしんサポート葬儀支援センター
     代表執行役員 武井 利之