武井「おー、暫く」
次男「あ、どうも」と笑顔で会釈する次男
武井「お父さん元気に成った?」
次男「きっと身体は悪くなってるんでしょうが、最近我が侭になって母さんと喧嘩してますよ」
武井「うんうん、みんなは毎日病院通いを続けてるんだね」
次男「え、あ、はい、、、 ??」
不思議そうな顔をした次男でしたが、家族が父親の病室に通ってくれてる事はだけは分かりました。
年が明け小正月の15日も過ぎた1月24日夜、お父さん逝去の一報が入り指定先の病院まで迎えに行き、病院から10分ほどの自宅に到着、息子達は部屋の片づけ真っ最中、布団に安置、末期の水をとり、当社通常より2日遅い5日目の火葬予約をすると、明日の午後一番で来るからと伝え前橋に戻りました。
通常なら安置後は打ち合わせ、死化粧と進むのですが日常生活で使用する部屋を片付けるのが大変なのは想像に容易く、当方の作業を始めたら部屋の片づけは明日、午前中に親戚が来たら片付ける時間さえ無くなりますから、片付けは今晩中にしておくべきとの判断でした。
翌日午後に伺うと片付けは済んで息子達が待機しており、図面通りに白幕を張り30分ほどで自宅祭壇まで設置完了「台所も見えないし、部屋も明るくなって、広さも充分、白幕って凄いですね」とお母さんは絶賛してましたが昨日出来なかった死化粧から始めます。
改めてお父さんを見ると痩せこけた顔、体力と気力を使い切るまで家族の声援に応えた終幕、、、そんな印象を受ける亡骸、死化粧が終る頃は隣に住むお母さんの両親も含め家族全員が集まっていました。
父親に対する悪口を言う親戚も集まる湯灌納棺の時に、父親と一緒に頑張った家族を称賛する形で言おうと思っていたのですが、終幕を迎える瞬間まで心身ともに寄り添い、父親の姿を目に焼き付けておこうとしているかのような家族を見たら僕の口が勝手にしゃべり出していました。
武井「あれから2か月、みんな良く病院に通い続けてくれましたね。年末に偶然次男と逢った時に分かったのですが、何も言ってないの何で分かるの? っ顔してたよね」次男は『コクッ』っと頷いています
武井「それはね、最近我が侭を言うようになって母さんと喧嘩してますよって言ったでしょ? だからみんなが病院通いしてくれてると分かったんですけど、その理由が分かる人いますか?」家族を見るとみんな首をかしげ分からないようなので説明します。
武井「人は遠慮していたら我が侭は言わない。 我が侭を言えるくらい家族が病院に通ってくれたから、お父さんも体力と気力の全てを使い切って余命より1か月も頑張れたんだと思う」
そう言って家族を見渡すと全員が頷きながらの泣き顔、でも初めて逢った時の泣き顔でなく、お父さんと一緒に過ごせた満足感の顔、後悔の顔ではありません。
喧しい親戚の事は聞いてますから、翌日の湯灌納棺は文句を言えないよう話の所々にクサビを打ち、お酒の入る火葬中は『故人を偲ぶ』と記載したA4用紙に家族の思いと『お父さんとの楽しい思い出話しを聞かせてください。きっとそれがお父さんの望みだから・・・そうだよねお父さん!』と書いて全席に置きました。
通夜とは釈迦が入滅したおり1500名ほどの弟子が集まりましたが、当時は医学が進んでおらず鼻に羽毛を近づけ揺れなければ逝去と判断した時代ですから、仮死状態なら息を吹き返すケースもありましたから、ひと晩そのまま置いて死を確認するのが通例でした。
集まった弟子達は一晩中釈迦の教えを語り明かしたのが通夜の起源ですから、僧侶が読経を唱える事ではありません。家族が余分に神経を使わない人達だけで、故人の好きな音楽を掛け、好きだった物をみんなで食べ、写真を見ながら故人との思い出を語るほうが起源に近いと思いませんか?と伝えたのです。
故人は歌が好きではありませんでしたが、唯一かぐや姫の「僕の胸でお休み」だけは好きだったそうで、一晩音楽を掛けながら話しをした時間が一番良かったと言い、従兄は「僕の胸でお休み」を初めて聞いたそうですが、翌日の朝には口ずさんでいたそうです。
また後日談としては、葬式後お母さんの友人が線香を供えに来てくれた時「火葬までが長くなかった? 火葬予約が取れなかったの?」と言われたそうで「普通より日数が多かったのですか?」 と聞かれました。
武井「初めて自宅に来た時、もしもの時は自宅でゆっくりさせいあげたいと言ったのを覚えてますか?」
母親「あー、そんな事まで覚えてくれてたんですね」
母親「叱られたけど、自分の事のように涙を流してくれた言葉は忘れません」
今回のケースは、稼業倒産で蒸発した父親と自己破産したお父さんが重なり、更に46才で逝った姉への後悔を引きずる経験則から他人事とか単なる仕事と思えなかったのかもしれません。
数年後、お婆ちゃんが亡くなった時も、お婆ちゃんの希望は知ってましたので当支援センターが、お手伝いさせて貰いましたが、お爺ちゃんの時は菩提寺の葬式は受けないと公言した後でしたから、知り合いの葬儀屋を紹介するしかなく、一応自宅には伺いましたが直接支援できませんでした。
ただ葬式後の家族から「親切でしたけどやっぱり違います」と言われた事から、それ以降は一切紹介しておらず、家族自身が納得できる葬儀屋に依頼するよう勧めてます。
独居老人対策を考えさせられる依頼
この葬式の翌月、親子三世代の同居が当然は遠い昔の話、赤いちゃんちゃんこを着て長寿を祝う60才も今は若く、70才を過ぎても同様だから子供夫婦と一緒に生活するのは面倒と考え、日本人の親子関係も昔より希薄であると理解はしてましたが、その実態を教えられた依頼です。
「独居老人対策」と「墓の在り方」について、頭の中では理解も想定も対策も考えてはいましたが、のんびりしてる時間は無いと再認識させられた依頼の話しです。
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