高崎のお婆ちゃんと逢って7か月後の4月8日(花祭り)、先述の前事務長と他1名もお手伝い、お婆ちゃんも含め20数名が乗った中型バスで現地に向かうと散骨場近くに駐車、お婆ちゃんは山登りは出来ないのでバスで待機、徒歩3分で山林に到着すると各々好きな場所に散骨して手を合わせてました。
帰りのドライブインでトイレ休憩、精神的に楽になったのでしょうか、初めて逢った人達と笑顔で話したり、お土産を買ったりしながら和気あいあい、前橋の出発点に到着すると個々に深々と頭を下げて帰られ、我々も無事に済んでホッとしました。
費用面で言うと中型バスの貸し切りで赤字にならず済んだので上出来、前橋に戻ると手伝ってくれた方々と反省会と称して食事に行き歓談してたのですが、突然千明が「あっ忘れた!」と声をあげたのです。
全員「何を忘れたの?」
千明「散骨・・・」
全員「はぁ? 今行ってきたじゃん」
千明「完全委託されてた粉骨持って帰ってきちゃいました」
全員「えーっ!?」
時刻は午後5時、今から急いで行けば明るいうちに到着できるかもしれない、2人で事務所に戻って撒き忘れた粉骨の袋を数個持って出発、到着したのは2時間後の午後7時、駐車スペースに駐車すると真っ暗、前橋から見ると赤城山の向こう側で山と山の間は明るい時間が短いです。
真っ暗な山道を3分ほど登り懐中電灯を照らしながらの数人分を散骨、今となってみればこんな失敗も良き思い出のひとつです。あ、合同散骨には先述した巨漢の息子さんの母親さんも参加されました。
姉と死と重なる家族
1万円合同散骨のきっかけとなったお婆ちゃんと逢った2か月後、11月も終わろうとしてた時、知人の紹介で来たという若い夫婦、61才の父親が末期癌で医師から余命3週間の宣告を受けての来社でした。
今晩、母親の友人の紹介で葬儀屋が来ることになっているそうですが、弟の知り合いから当支援センターが良いと聞き、葬儀屋が来る前に話しを聞かせて欲しいと来られました。
そこで葬儀屋は何処でも構わないけど、打ち合わせでの注意点や確認しておくべき事などアドバイスしたのですが、話しを聞いてる僕の中では強い違和感を感じます。
余命宣告を受ければ動揺するのは当然だけど残された3週間をどう過ごすべきか――、の話題は出ず家族全員が葬式や費用に意識が行き過ぎている事、僕には3才年上の姉がいましたが、姉はスキルス性の胃癌で余命2か月の宣告を受け3か月後、46才で終幕を迎えています。
その時の自分の言動は『後悔』となっており、この後悔が無くなる事はありませんから、この家族も同じような後悔をすることになるような気がしたからです。
ある日、妹からの電話で姉が胃癌で2か月の余命宣告を受けたが、母親と相談して本人にも子供達にも伝えない事にしたから兄貴もそのつもりで――、という内容でしたが、突然の連絡であり深く考えもせず「うん、わかった」と了解してしまったのです。
入院先の病院に行くと「あ、僕も来てくれたんだ」と元気な声で「2か月もすれば退院できるって言われたから心配しなくて良いのに」と言った姉『余命2か月なら確かに2か月後の退院だけどさ・・・』と思いながらも「元気そうでなりよりだ」と帰ったのです。
余り頻繁に行くのも変だと思うかもしれないと1か月後に行くと、、、
姉「なんかさぁ、悪くなってる気がするんだよねぇ、、」
僕「ん? それって瞑眩反応じゃねぇか、子供達の為にも早く元気にならなきゃな」
姉「うん、そうだよね」
更に1か月後に行くと、、、げっそり痩せた顔の姉を見て驚きました。
姉「私もう長くないよ、何となくわかるんだ」
『そんなことねぇよ』と言おうとしましたが、口に出したら姉は事実を伝えようと様々な実情を話すでしょうから、反論はせず小さく頷きました。すると姉から出たのは、、
姉「僕にひとつお願いがあるんだ。僕なら約束守ってくれるから、、」
僕「ん? 何だ」
姉「私が死んだら今を顔を誰にも見せないで欲しい、元気な時の顔を覚えておいて欲しいからさ」
僕「・・・・分かった、家族以外は誰にも見せないって約束するよ」
これが僕の後悔、妹からの電話を受けた時もう少し深く考えてたら真実を姉に話す判断をしたはずです。余命2か月と分かれば泣きじゃくるだろうけど、姉の気持ちが落ち着いてくれたら退院して子供達と旅行に行ったり、食事をしたりと家族団らんの時間が少なくとも1か月は過ごせたはずです。
自分が死んだ後の不安、お願いを聞いてあげる事も出来たはず、姉自身も覚悟をする時間が持てたはず、その貴重な時間を知らせない家族の判断が正しいと思えなかったのです。勿論、母親も妹も良かれと思っての判断なのですが、2人を説得できたのは僕だけなのです。
この家族は僕と同じような後悔をする可能性が高いと思えたので「葬式も大切だけど、お父さんと色んな話しをしたほうが良いよ。後悔しない為にもね」と伝えた翌日の午後、長男から電話があり自宅に来て母親と話して貰えませんか? との連絡があり午後7時に行く旨を伝えました。
前橋から北へ40分の距離にある自宅に伺うと、昨日来てくれた長男夫婦、弟2人、母親の5人が待っていてくれ部屋に案内されたのですが、1階は1部屋で台所も見える1ルームマンションのような造り、トイレも居間と扉1枚なので音が漏れる? 初めて伺った僕らではトイレは借りられません。
変わった造りだなぁと思っていると、長男が「父親が事業に失敗して自己破産したんで、母親の実家の倉庫だった所を改装して住んでるんです」『あー、そういう事かぁ』と理解して座ると簡単に挨拶、お茶を出してくれたお母さんが言います。
母親「昨日来てくれた葬儀屋さんは斎場で葬式する時に受付の人を2人も用意してくれると言ってました」
武井「はぁ?まだ何も決まってないのに受付なんてずっと先の事ですよ」
そう言って母親の顔を見ると少し『ムッ』としたような表情になりましたので追い打ちを掛けます。
武井「ところで僕を呼んだのは、その受付の話しではないですよね!?」
母親はさらにムッとした表情をしましたが、葬儀屋と同じ土俵に上がる気はありませんから、昨日長男夫婦に話した事を再度伝えると、母親は100万円あるから、それで出来る限りのことをしてあげたいと言い、昨日来た葬儀屋も、それが良い、それが供養になると言ったそうです。
しかし父親は葬式なんて要らないと言ってるようで、どんな葬式にするかで何日も家族間でもめている図式だと分かり「ある程度の話しは分かりましたが、根本的な部分に間違いがある気がするので、少し僕の話しを聞いて貰えますか?」と話し始めます。
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