「15」初対面の僕に叱られた家族

一銭も要らないお葬式
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武井「お父さんの余命は確か3週間ですよね? 葬式の打ち合わせは確かに大事だけど、もっと大事なことがあるでしょ? いいですか、あと3週間過ぎたら、お父さんと話しだって出来ないし、声を聞くことすら出来ないんだよ。今は少しでもお父さんと一緒に過ごす事じゃないの!?」

武井「お母さんは家にある写真やアルバムを全部持って病院に行って、お父さんと過ごした時間を1枚、1枚の写真で振り返ること、子供達は仕事が終わったら病院に行って子供や男同士としての話しをする」

武井「最後の思い出をひとつでも多く作ることだよ。みんなは看病とでも思ってるようだけど、もう看病の時期は過ぎちゃったんだよ。だから食いたい物があったら食べさせる。行きたい場所があるなら医師の許可を取って家族全員で連れて行くんだよ」

武井「その結果、途中で死んじゃったとしても、父の希望を叶えようとして動いた結果なら後悔は無いはず、父親が逝った時、家族の中に残るのが後悔でなく達成感や満足感を残せる唯一の3週間だよ? 違うか!? 葬式の話しなんて空いた時間にすりゃあ良いんだよ」

そう語る僕の目からは涙が溢れ、つい先ほどまでムッとした顔をしてたお母さんを始め、家族全員が目を真っ赤にして涙ぐんでいますが、更に僕の話しは続きます。

武井「お母さんが全財産100万円を使って精一杯の事をしてあげたい気持ちはよーく分かりますが、自分が病気になる可能性はゼロですか? 葬式の後でお母さんが病気になったとして、お金が無くて病院にも行けない姿を見てお父さんは喜びますか? 」

武井「ついでに言うと債権者はいるでしょうから100万円の葬式を見たらどう思うでしょうか? ましてやお父さん自身が望んでいないなら、全ての話しを白紙に戻して、火葬だけの葬式、或いはこの部屋で出来る葬式から組み立て直すくらいの時間はあるはずです」

姉の余命期間で後悔してる本音からの話しは迫力も説得力もあったのか納得したお母さんが言います。

母親「家が好きな人ですから、もしもの時はこの部屋でゆっくりさせてあげたいと思っているんですよ。でも本当にこんな部屋でも葬式できるんですか?」

武井「はい、充分できると思います。明日の夜にでも図面にしてお見せしましょうか?」

母親「はい、ありがとうございます。どうか宜しくお願いします」

と穏やかな口調で深々と頭をさげたのです。たった10分前まで僕にムッとした顔をしていたが、今は素直に話しを聞き心を開き始めているのですから不思議なものです。

そこからは写真やアルバムを持って来られ、家族全員で過ごしたクリスマスの写真もあり、元気なお父さんが頭に鹿の角のカチューシャを付けた笑顔の写真もあります。

この家族、父親の事業失敗で迷惑を掛けた親戚から、何かにつけて父親の悪口を言われてきたようで、それが家族の絆を強くしているように思えます。家族が思い出話しに花を咲かせているのを遠くで聞いているような感覚の中、僕が15才での稼業倒産が決定した瞬間が頭に浮かびました。

40年前の記憶

前日の夜、珍しく僕の部屋に来た父親「お前は男なんだから人生何があっても強く生きていくんだよ」と言われた翌日、まだ父親が蒸発した事も知らない霧雨の降りしきる中学3年の夜、午前0時を回った途端、店の周辺に駐車してた車の中から一斉に人が飛び出し店のシャッターがガラガラと開けられる。

店内にある商品、備品の区別なく我先にと運び出す姿を雨に濡れながら呆然と眺めつつ『これが倒産かぁ』と思ったのだけは覚えています。

翌日にはスーツを着た人達が来て学用品を除き家中の物に金額を書いた赤い紙を貼っていく、翌々日には伯母達がやたら気を遣う小父さんを接待する姿の記憶まではあり、家屋敷は全て他人の手に渡り、母親と姉妹、祖父母と僕に分散した生活が始まるまで、さほど時間は掛からなかったと思う。

ただ倒産前後の記憶はあるのですが、数日後に行った学校で同級生が気を遣ってくれた事を除くと、高校生までの記憶は殆どなく、卒業写真アルバム、中学までの全ての写真も残っていません。正直なところ倒産した日も分からなければ、卒業までの期間すら全く分からないのです。

僕自身5才まで祖父母に育てられた事もあり、人生に於いて両親、姉妹達との生活は10年間だけ、引越しした日が家族と過ごす最後の日となりました。

それからの生活は一気に変化しましたが、中学から高校へと周囲も変化する時期だったのが幸い、ただ小遣いは貰えませんから人生初のバイト、中学時代はヤンチャだった事もあり学校には内緒で午後6時からキャバレーでアルバイトをする日々でした。

生活が一変すると今まで恵まれていた事が分かったり、身体を動かして稼ぐ大変さ、人生はいつ何が起こるか分からない事、金がある時に集まる人の中には金が無くなれば居なくなる人、金の有無に関係なく接してくれる人などの人間模様を学べたのも大きいです。

倒産前に単身で蒸発した父親は弱い人間だと思うけど、父親が居てくれたから他人より贅沢が出来たのも確かだと思ったり、父親を思い出すと憎めない自分がいるし、考えようによっては先祖から受け継ぐものは何ひとつありませんから自由に何でもできる環境が得られたとも言えます。

ただ1つだけ苦手だったのは親戚との付き合い、親戚が集まる席は酒が入りますから、毎回父親を非難する言葉を耳にしたり、父親の居所を聞かれたりと嫌な思いを10年以上しましたが、それでも我慢したのは僕に子供が出来た時、父親の親戚は誰もいないでは可哀そうだからです。

この家族もきっと僕と同じような経験をしてるだろうし、このタイミングで父親の終幕を迎えるのですから、僕以上に辛いだろうけど、これが人生の糧になってくれる支援になればと思いながら、和気あいあいと談笑する家族を見ていました。

翌日の夜9時過ぎ部屋の図面を持って自宅に到着、昨日と違い歓迎ムード、お母さんは写真を持って病院に行き、息子達も同様の時間を過ごしてくれたようで昨日より明るくなっていましたので図面を見せると「見ても良く分からないけど武井さんが良いと言うならそれで良いです」と言われてしまいました。

余命3週間も過ぎた年末12月29日、葬式で使う門標印刷を依頼した所に行くと偶然次男と顔を合わせました。

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