「4」宗教儀式への疑問

一銭も要らないお葬式
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日本で一番多いのは仏教の葬式ですから、キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教との比較でなく、仏教の葬式や法要の中で、無信仰者の僕自身が感じる疑問を調べてみました。

仏教供養のひとつに白木の板に墨文字を書いた塔婆とうば卒塔婆そっとうば)があり、これは開祖の釈迦の遺骨を納めた納骨堂を模写したストゥーバ(サンスクリット語)をの音を漢字して卒塔婆になったものです。

ここまでなら塔婆の由来として疑問はありませんが、木の板を墓に供える事が供養と言われると「何で?」と思うし、また九州地方の人達は塔婆の存在すら知らない人も沢山いるから仏教全体では無さそうです。

この先は葬儀支援センター開設後ですが、話の流れで先に執筆します。

引導を渡す!?

葬式を先導する僧侶の中には引導を渡すと称して「カァーッ」と大きな声を出す住職もいますが、個人的には「おいおい」が本音、僧侶に法力があるかと問われれば「ありません」と明確に言い切れるので単なるパフォーマンスでしかないんだけど、そんなもの必要ですか?

終幕を迎えた仏教信者は釈迦の元へ向かいます――、ならまだしも、僧侶である自分が故人に「死」を受け入れさせ極楽浄土に導くの発想は傲慢というか、ハッタリというか、巷に溢れる似非えせ霊能者と一緒です。

読経を唱え戒名を付けねばあの世で浮かばれない!?

この言葉はある住職から直接聞き呆れた僕から出たのは「あんた死んだ事あんのか?」に対し黙っているしか無かった住職、もし読経・戒名の布施が5万円以下なら多分この発言はしませんが、30万円、50万円の布施を要求する為の「脅し」にしか聞こえません。

話しを2007年に戻すと、インド仏教に戒名は無く中国仏教と韓国儒教の影響によるものと思われますが、開祖の釈迦の言葉でもないのに釈迦弟子になる為に戒名が必要は理解できません。

もっと言えば「この壺を持っていれば幸せになれます」と20万円の壺を売れば霊感商法で罰せられるのに「読経・戒名が無ければ浮かばれない」と言い50万円の布施と何処が違うのでしょうか?

更に言うなら10数万円で生活してる人が30万円・50万円をほどこしますか? また葬式後に葬列を組んで土葬と即日だった納骨を49日としたのは寺(布施5万円)と葬儀屋(食事・返礼品)の金儲けとしか思えない。とにかく調べれば調べるほど現行の仏教葬の慣習は疑問だらけでした。

死後の法律

『法律』で決められているのは『死亡診断書は医師又は歯科医師以外は記入できない』『死亡時刻から24時間以内の火葬はできない』『火葬は行政発行の火葬許可証が必須』の3つだけです。

付随する法律として死亡届を提出できるのは『死亡地役所』『故人本籍地』『届出人現住所』の3か所限定、ついでに言うと火葬は全国何処でも出来ますが、市区町村民や圏域内住民以外の人は火葬料が必要又は高額になる火葬場が多いので無料・低料金の居住地斎場(火葬場)利用となります。

あと法律ではありませんが『ご遺体はフタ付の棺で搬入』と『火葬は事前予約者限定』が大半の斎場の決まり、また火葬は法律で義務化されておらず、市区町村条例で禁止されてなければ土葬でも問題ありませんが、実際には土葬させてくれる墓所は殆どありません。

法律と言えばご遺体搬送は緑ナンバーを付けた車両で無ければ運べないと言う葬儀屋もいるようですが、死亡診断書を持参すれば自家用車でも法的に問題ありません。

緑ナンバーは『一般貨物自動車運送事業』ようは運送屋さんの許可なので、死体は人間でなく『物』としての扱いと国が定めており葬儀屋に資格は必要ありません。

2007年当時は棺が何処で買えて葬具類の原価も全く分からず、葬儀屋が配布するチラシは「フューネラル・フェアー」として歌手を呼んだり、料理を試食させたり、葬具類を陳列して入会促進するか、自治会等で行われるゲートボール大会の賞品を協賛する程度でした。

疑問だらけの葬儀業界の実態、死に関連する法律、正しい死体保全、各宗教などの調査と学びに3年間を要しましたが、全ての始まりは2025年の今も一緒に葬儀支援を続ける『千明ちぎら』との出逢いでした。

不思議な出逢い

当時はホテルの婚礼美粧を中心に美容室数件、衣装、写真等の経営者、鎌倉から戻ると各店長に「葬儀屋で働いてる人でお客さんっているの?」と聞くと「沢山いますよ」との事でした。

「沢山いるって事は女性!? もしかして中年女性?」
「はい、そうです」
「そっか、面倒な小母さんは苦手だから、面倒臭く無さそうな人がいたら僕の所に連れてきてくれない?」

店長会議で伝えた数日後、社長室のある店舗の店長が、メガネを掛けた素朴な印象の女性を連れてきてくれたのが今も一緒に支援活動をする千明ちぎら、小母さんと問答になるのは面倒なので、この間に溜まった疑問や質問を一気に立て板に水で話しました。

「素人さんは分からないでしょうが・・・」と言われるとの想定は外れ第一声が「その通りだと思います」の回答に肩透かしにあった気分でしたが、自分も相手が喜んでくれる葬式の提供がしたい思っているとの事、2時間ほど話し「良かったら時間のある時にまた寄ってください」と伝えました。

少し引っ掛かるのは彼女が勤めている葬儀社は大手で誰もが口を揃えて「高い」と言われるのと、僕自身は無信仰者ですから作法・料金の基準・価値観の違いがあるかもしれません。

その後も2回ほど寄ってくれた3回目のこと、いつもと違う神妙な顔で「オーナー、ちょっと良いですか?」「はい、なんでしょうか?」「オーナー、葬儀屋を始めませんか?」と言うのです。

美容業の経営者である僕に葬儀屋? 余りに唐突な提案に一瞬驚きましたが聞きます。
武井「何で僕が葬儀屋をするの?」
千明「オーナーの話しを聞いていると全て納得する自分がいるんです」
武井「それは良かった」
千明「でも、騙しているような気がして、自信を持ってお客様の所に行けなくなってるんです」
武井「それで、、」
千明「オーナーみたいな人が葬儀屋を始めれば助かる人は沢山いると思うんです、、だから」
武井「あー、そういう事ですか、、、」

自分の中に涌いた疑問解決への言動が、他人の仕事への意欲を消失させてしまってた事に気づきましたが時すでに遅し、少し考えてからこんな提案をしました。

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