いつか助ける側になって欲しい

生き方
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17年間3千数百件の支援をしてきた中でも、ほんの数回だけ使用した言葉があるので今回はその言葉を紹介してみようと思います。

「本当に感謝してるなら今の気持ちを忘れず、いつか困っている人を助ける側になって欲しい」

この言葉を発したのは全て経済的に大変な時に家族が終幕を迎えた人達、当初設定された火葬支援パック5万円を数回分割で払ったり、現在の直葬プラン75,000円を1万円づつ7回で支払ったりと様々な事情があり、日本一低料金と言われる当支援センターの料金でさえも大変だった人達です。

本人が心身の健康を有している人なら、周囲の人達が言うように愚図だと思いますけど、家庭事情まで分かりませんので、まずは手を差し伸べて目の前にあるご遺体の火葬を行い、残る家族の生活が出来る範囲で支払い予定を立てるように伝えてきました。

今の世の中で様々な事情を考慮すると『金が無い』という現象が起きても不思議ではないと思うし、親戚でも金が無いことを非難する人がいますが、好き好んで貧乏をしてる人はいません。

「助けてください」

一例を挙げると、もう10数年前のこと、我々2人でサイゼリアの500円ランチを注文した直後に携帯が鳴り、千明から僕に電話を代わった最初の言葉が「助けてください」でした。

意味が分からず訊ねると、お金が無いのでどうすれば安く葬式出来るかと斎場に行き聞いたそうですが、自分で行うのは難しいと言われ、どうすれば良いかと食い下がった所、役所の立場として特定の葬儀屋を紹介する事は出来ないので自分が個人的に教えますと言われたらしい。

30分ほど待って当支援センターに来て欲しいと伝え、急いで食事を済ませて戻ると駐車場に軽自動車が停まっており声を掛け、館内に入って詳しい話しを聞きました。

母親は街中にあった当時の日赤病院で逝去、看護師さん達に手伝って貰い軽自動車の助手席に母親の遺体を乗せ、シートベルトを掛けて自宅に連れて帰って置いてあると言う(法律違反ではありません)

代表「ちょっと待って、置いてあるって事は布団に寝てないよな?」
息子「はい、車から運び出すと手がちぎれるかと思うほど重かったから玄関脇の部屋に置きました」
代表「それじゃあ可哀そうだから、まずは運んでから話しを聞くけど、ようは金が無いって事だよね」
息子「はぃ、そうなんです」

自宅から搬送、式場祭壇前で納棺安置、末期の水をとり線香を供えると話の続き、火葬して骨壺に納めれば自宅で保管しても法律的に問題はないと伝え、火葬だけのプラン69,000円+税=75,900円を提案、支払いはどうするつもりか尋ねると来月には母親の年金が入るから支払えると言う。

代表「ちょっと待って、支払いは出来るだろうけど自分は生活できるの?」
息子「そ、それは・・・・」
代表「自分が生活できる範囲で分割して払えばいいよ」
息子「ありがとうございます」

毎月1万円づつ7回で支払う旨の約定作成、約束通り7回で完済、最後の支払いで来館した時「本当にありがとうございました。御恩は忘れません」と言ってくれましたのでこの言葉を伝えました。

「本当に感謝してるなら今の気持ちを忘れず、いつか困っている人を助ける側になって欲しい」

気持ちは伝わるんだと思う

3千数百件の支援活動で同様のケースは過去に何度もありましたが支払いに関する事故はゼロ、この現実は葬儀屋では殆どないようだけど誠意はちゃんと伝わるんだと思う。

僕は家業倒産から「金」の無い生活が続いたので、他人の冷たさも経験したし本当に困っている時に助けれらた事は忘れませんでしたから、僕自身も同じような道を歩み助けられる側になれたのですから、きっと彼もいつか自分より弱い人に手を差し伸べてくれることでしょう。

損得抜きで人としての慈悲や優しいが出せるのは超零細事業の良さだし、最悪の場合は僕自身が背負う覚悟さえあれば即断即決できるのも小さい事業だからできる事、結果はどうであれ「してあげられなかった後悔」だけはしなくて済みます。

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