幸せ術「自分の為にする №3」

生き方
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他人の為でなく自分の為にする

超料金・高品質だからか「人助け」と言われるけどそんな感覚はありません。

言われてみれば稼業倒産後は助けてくれる人もなく、自分の人生は自分で創るものであると実感させられはしましたが、いい時は媚びて、悪くなったら離れるハイエナのような人間にはなりたくないと思った事はあるので、その辺りの心境が多少影響しているかもしれません。

それから葬儀支援を始めてみると「本当に助かりました」と安堵の顔を見せてくれる人が多く、この安心した笑顔は何ものにも代えがたい喜びを与えくれますから、犬が何か出来たら褒めてあげると、これをすれば褒められると理解するのと同じようなものかもしれません。

具体的に言うと――、
『助かりました。の言葉でえつひたれる』
こびを売ったり、頭を下げずに済む(それを可能にのする内容・料金設定が至難の業だけど)
『完全会員制は横柄・傲慢な人に付き合う必要がない(依頼者・宗教者)
『他人に頼られるとは自身の生き甲斐にも通じる』
『ストレスを溜めない生き方が出来るのが零細事業の利点』

ようするに僕は他人の為にしている訳で無く全て自分の為であり自己満足なんです。

じゃなかったら利用者の負担を最大限減らす為に赤字プランを創り、赤字は葬式以外の利益で補填できるよう散骨場を所有して尚且つ365日・24時間対応・超低報酬の仕事なんて続けられませんから、極端な言い方をすれば、あんしんサポートは僕にとって趣味のような対象かもしれません。

例えば登山が趣味の人は、高額な装備を揃えて空気の薄い高地まで苦しい思いをして登る。僕なら絶対嫌だけど当人は楽しいから続けてるわけでしょ!? 僕の葬儀支援活動はそれに似てるんだと思う。

仕事とか金を稼ぐ為の手段ならしませんけど、幸か不幸か生き甲斐、遣り甲斐、端的に言えば過去の社長業やサラリーマン時代より楽しいから続けてるんだと思う。

どんな職業にもいるはず、、

その感覚は医療、教育、信仰など、どんな生き方をする人達の中にもいるはず、あ、そう言えば日赤病院で部長をされてる方の母親の葬式をした時に話しをしてたら「楽しいから続けられてる」と言ってましたから、義務感とか責任感だけで続けられるものじゃないのでしょう。

反面、金の為とか、生きる為が大前提の人は辛いし大変でしょうから、自分を正確に知ることから始めて、そんな自分が楽しく過ごせて、儲からずとも食えれば良いじゃん! 的な発想で仕事を探したり、始めたりすれば僕の言葉が理解できるんじゃないかな。

んと、、サラリーマンが嫌だから、経営者に成りたいから、或いは儲けたいからラーメン屋をする人は失敗する確率が高いけど、旨いラーメンを開発して食べさせて「旨い!」の言葉を聞きたい人がラーメン屋をすれば繁盛する確率は各段に上がるはず――、理解できるかな?

だから、もし商売してたり、サラリーマンでも同様なんだけど、今の自分が評価されなかったり、信用されなかったり、閑古鳥が鳴いてるとしたら、あなた自身の言動に問題があるはず、失礼な言い方だけど今回の総裁選で敗北した小泉進次郎氏の言動と今回の結果は正にそんな印象です。

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