「3」死に対する後悔

生き方
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蒸発した父親と母親への後悔を感じた事はありませんが「祖父母」「姉」の3人は死後に後悔、その後悔こそが、あんしんサポート葬儀支援センターの根底に流れる源流となっています。

母親の存在すら知らず5才まで育ててくれ、稼業倒産後も養ってくれた祖父母に孝行らしい事は何ひとつとしてしなかった愚かさが最大の後悔です。

続いてスキルス性胃癌で余命2か月の宣告を受け46才で終幕を迎えた姉に対しては、母と妹の決定に先の事を考えず従ってしまった愚かさへの後悔ですが、いずれもやり直す事はできません。

後悔の本質

『後悔』を調べると色々出てきますが『絶対にやり直せない事』だからの後悔、これは死に限らず学生時代とか、若い時とかの後悔も同様で絶対に戻る事はできないからです。

人生の時々で左折、直進、右折など何気なくしてきた判断でも、後々大きな後悔になると理解したのが52才、父親の終幕期について聞かされてからという愚かさでしたから、せめて人生終盤くらい後悔の少ない生き方にしたいと考えると本音で生きるのが最善の結論に至ったのです。

気付き

祖父母と姉の死後に気づかされたのが、後悔とはやり直せないから涌く感情の事、やり直せる事なら後悔しない。やり直せるならやり直せばいいから後悔にはならない。

当支援センターには医師の会員もおられ「金はあるんだから葬儀屋に行けばいい」と伝えると、葬式に対する考え方が僕に近いと言い医師は口を揃えて癌での終幕が良いと言います。

理由は『癌』なら少なくとも数か月~数年は余命があり、終幕に向けた様々な準備や大切な人達と別れを受け入れる期間があるからだそうで、頭では理解しても元気なうちは中々実行できない遺言書の作成、死後手続きの準備なども「やるしかない」状況になります。

大半の人達の余生や余命期間は『お金』と『生活』を天秤に掛けながらの生活、限られた時間と限られた資金での生活経験から聞かされた父親の終幕期の流れは基本的な優先順位に思えます。

№1『後に残す人の生活最優先(各種死後手続き含む)』
残された人の生活には「金」が必要、だから葬式費用は最低限に抑えつつ、火葬前も最後の別れが出来る1人だけの火葬とした事、葬式内容は全て父親自身が決め支払いも済ませてあったそうですから、葬儀屋の誘導商法を避けつつ余分な追加を出さない為の対策でしょう。

また焼骨は全てハワイの海に散骨の指示は、もし人生を共にする人が現れた場合、彼女の人生の妨げになりたくない彼の愛情、思いやりからの発想だろうと思う。

№2『大切な人との別れを受け入れる時間と方法』
分かれを受け入れる時間は関係性によって様々、1分で終わる人もいれば、数年掛かりそうなら人の終幕を意識する時が来たら、受け入れられる心の準備をしておく、父親の車椅子を押して行った人生最後のグァム旅行は彼女にとっても別れの旅だったのでしょう。

№3『大切な人が余分な神経を使わず送れる葬式』
大切な人を残すなら、その人の生活を最優先した葬式内容にする事、父親の例で言うと葬式前に我々家族に伝え家族が来たら、彼女は我々に神経を使う葬式になる。なら葬式は彼女1人で送って貰い、遺言書を残せば裁判所を通して家族に連絡は行くとの選択は父親がしたのでしょう。

父親の終幕期の生き方と葬式、散骨の話を聞き本当の意味での『葬式とはなんぞや』を教われた。稼業を倒産させた38才の時は自分だけ逃げた弱い人、けど人生の最後だけは立派な幕引きだったと思う。

だとしたら現在行われてる終幕後に高額な費用を掛けて騒ぐ葬式って一体なんの為? 誰の為? という疑問が湧いたのが葬儀支援への第一歩になったのだと思う。

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