理不尽だから支援を続けてる

生き方
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葬式実態は理不尽です

僕の親族も含め知る限り生誕、七五三、成人式、快気祝い、長寿祝い、結婚式、どんな家族行事でも親戚が口を出すことはありませんし、そんな話を聞いたことすらありませんでしたが、何故か葬式だけは当然のように親戚が口を出し、地域によっては隣保、寺、葬儀屋までもが当たり前の如く口を出します。

それも家族を守るわけでなく過去の慣習、寺の言い分を最優先した高額な葬式を行うよう結託して家族に有無を言わせず畳み掛けるような流れも決して珍しくありません。

葬儀屋・寺は自分達の利益優先思考は理解もできますが、隣保は他人であり、本来なら家族を守る立場に立って当然の親戚までもが、家族を困らせる立場に立ち家族を脅す事さえあるのが葬式実態、困ってる家族の実態を長年見てきたからこそ、本当の意味での葬儀支援を本気で続けてるんです。

「想像してみてください」
亭主が癌で入院や療養を続けた後の余命宣告、生活費だけで精一杯なのに医療費はかさみ、子供達は孫を育てるだけで精一杯、そこそこ有った貯金も底をつき始めたところで終幕を迎えると、故人の兄弟姉妹を筆頭にした周囲からは高額な葬式が当然のように迫られ否応なしに施行させられる。

この家族が本音で相談できる人、費用面も含め力になってくれる人がいますか? 親戚にすら言わない本音を聞かされた我々は専門家だから残る家族の生活が守れる葬式が可能です。

他人に言いたくも無い本音を伝えてくれた家族がいて、その家族が守れる自分がいるのに手を差し伸べずにいられると思いますか? それも理不尽としか思えない現実を知りながら――、

納得できる現実だったら葬儀支援は誕生しなかった

「もし」寺の住職、葬儀屋が家族の本音目線を尊重する人達だったら、葬儀支援という発想すら湧き出ることもなく、あんしんサポート葬儀支援センターは存在しておらず、葬儀支援センターなる名称も日本国内で生まれて無かったことでしょう。

設立当初は葬式施行も出来ず、県内各地の既存葬儀社に依頼しながら施行実務を学び葬式の実体調査をしましたが、その中で発生した疑問は経験年数が増えるにつれて大きくなり、葬式の実態が分かれば分かるほど理解不能となり、寺や葬儀屋には怒りは増すばかりでした。

設立した当時は寺の住職、葬儀屋からも誹謗中傷され無信仰者が多い日本でありながら「直葬は間違ってる」「葬式は宗教儀式である」と当然の如く言われる理不尽な状況でしたから「間違っている!」と吠えた所で変化するはずもなく自分達が立ち上がる以外の選択肢はありませんでした。

儲けるなと言ってるのではない

お金のある家族や見栄っ張りの家族なら豪華で派手にして高額な葬式をさせても構わないけど、それを全ての家族に当然の如く押し付けるのは「人」として間違ってます。

「性善説」と「性悪説」があり性悪の人が多いと言われる現代ですが、本来人は性善説であると思いたいじゃないですか、祖父母の教えでもある「自分より弱い人に優しくあれ」程度の道徳は人の終幕を扱う仕事をする以上は持って当然であり持ち続けるべき鉄則です。

また宗教者と名乗り非課税のメリットも与えられてる寺が金の亡者のような言動の実態も明らかに間違い、自分の生活より頼ってくる人達を優先できない人が宗教者を名乗るべきじゃない。

一人で吠えた所で何も変化しないかもしれませんけど、ローマは一日にして成らず、最初の一歩が無ければ何一つとして変わることはないのです。

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