平凡とは幸せの極みなり

生き方
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日々葬式の施行、事前相談を続けて17年間、個々の家族事情に合わせた葬儀・死後手続きの支援のため、余り他人には言いたくない事、親戚や友人でさえ知らない家族事情も聞く必要があるのが、残る家族の生活を最優先する葬儀支援、この辺りも葬儀屋とは一線を隔す部分です。

なぎの海を順風満帆じゅんぷうまんぱんで歩み続けてる家族は一握り、大半の家族は家族関係、経済面、心身の健康面など様々な問題を抱えてたり、夫婦関係が上手くいかず離婚経験者も結構多く夫婦喧嘩の80%は金銭絡みと感じます。

でも単純に金銭的な問題というより配偶者への思いやりと気遣いの不足、ほんの少し考えた発言や行動をすれば解決できるのでは? と感じることも多いです。

仲の良い夫婦や親子もおられ、夫婦は互いに気遣い、子供達は両親や祖父母をうやまう言動、そして親も子供達を1人の人間として接しており、何気ない言動の中に愛情や思いやりが感じらます。

夫が仕事で遅くなって「ただいま」と帰った時、奥さんが「遅くまでご苦労様」と言うか「こんな時間まで何してたの!」奥さんである貴女はどちらですか?

或いは仕事で遅くなって帰ると奥さんがうたた寝してたら「なんで俺が帰って来る前に寝てるんだ」というか「遅い時は布団に寝てくれてたほうが安心だよ」亭主の貴方はどちらですか?

たったこれだけの気遣いで温もりのある平凡な家庭や職場が得られたほうが良くないですか!?

平凡は健康と似ています

病気をした事の無い人はいません。病気になると健康の大切さを痛感しますが、平凡も同様で空気や水のように当たり前のような錯覚をしますが、心身ともに平凡に過ごすのは思ってる以上に難しいです。

と同時に平凡で穏やかに過ごせているなら間違いなく幸せです。平凡が幸せであると教えてくれたのは17年間に出会ってきた会員さん達と無休・24時間・低報酬という葬儀支援の道でした。

人の死を扱う仕事は365日時間も選ばず、超低料金の支援だから、かつての役員時代、美容業の社長時代のような贅沢はできませんけど、余り暇な時間はないから、お金を使う時間もなく低報酬でも普通に食えてます。

上記のように帰りが遅いとか時には徹夜とか、帰ると嫁さんがうたた寝してる事もありますが、ちょっとした気遣いの言葉で嫌な思いをせず過ごせており超不規則な生活の仕事も理解してくれ、時間が取れない僕に代わって息子が時々母親を連れて出掛けてくれフォローしてくれてます。

1泊とか2泊で出掛ける時、費用だけは僕が出してますけど、普段からの嫁さんと息子の協力を考えれば当然、52才からの人生と家庭は穏やかで平凡な生活だと思う。

スーパーの息子として過ごした15才まで、きっと周囲の子供達から羨ましがられてたはず、サラリーマン最後となった会社の役職は取締役、起業した35才から5年後は年商3億円の代表取締役、いずれも羨ましがられてはいましたけど心が安らぐことはありませんでした。

地位、収入などが他人より恵まれたとしても、心の中が穏やかでなければ本当の幸福感は得られません。そして穏やかな心は、お金や社会的地位では得られません。

『平凡な人生』をつまらない人生だと思っている人も多いですが、それは大きな勘違い、平凡な人生を生きられるとしたら、それは最高の人生を生きていると思って良いのでは? これが70の齢を迎えた僕の本音です。

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